弟子日記④〜ここでも神社⁉︎梅干しと日本文化の深い繋がりとは?〜

弟子日記④〜ここでも神社⁉︎梅干しと日本文化の深い繋がりとは?〜

こんにちは、SEO・広報の小泉です。

先日、DO THE SAMURAIのMarkさんより梅干しの差し入れがありました。
休憩中にその梅干しをみんなで食べたのですが、とても美味しかったです。
梅干しって、頭で想像するだけで喉が潤い、ご飯が欲しくなりますよね。

また同時に、梅雨の季節がやって来ました。
”梅の雨”と書いて梅雨(つゆ)ですね。
梅の実が熟す時期であることから、梅にちなんだ名のようです。
一雨ごとに梅のみは大きく膨らむので、梅にとってこの時期は恵みの雨なんです。

そこで、今回は日本に古くからある梅と日本の文化について書います。

・梅干しの歴史って?
・梅干しの名産地の凄いシステムとは?
・梅干しと太宰府天満宮の驚きの繋がりとは?

【梅干しの歴史って?】

梅の歴史について時代を遡りたいと思います。

梅の原産地は中国といわれており、日本には今から1500年前に梅の実を燻製にした”烏梅”(うばい)という薬用として伝来して来ました。

梅が梅干しとして現れたのは平安時代です。
平安時代に書き残された、日本最古の医学書「医心方」には梅干しが出て来ます。
烏梅同様、梅干しも薬用として使われていました。

少しずつ一般化してくる梅干しですが、
戦国時代には武士の必需品として梅干しが登場します。
携帯しやすく、栄養を素早く摂取でき、保存性に飛んだ梅干しはまさに戦場での貴重な食料だったのですね。

そして、ようやく江戸時代になり、梅干しが庶民の食べ物になりました。
一般的にも食べる習慣がついた梅干しはこれをきっかけに全国に広がります。
梅の名産地として知られる、和歌山の南部(みなべ)の梅は木樽に樽詰めされ、 すでにこの頃には江戸に出荷されていました。

かつて薬用として使われていた梅が、なんとなく梅干しは体にいいと知っている私たちの感覚は、受け継がれる文化の中で自然と染み付いていたのですね。


Markさんからの差し入れの梅干し

【梅干しの名産地の凄いシステムとは?】

梅といえば、和歌山県で全国の梅の70%を生産しています。
その中でも一番有名なのが、みなべ・田辺地域です。
この地域の梅のシステムは、世界農業遺産にも登録され、守り続けられています。

世界農業遺産とは、FAO(国際連合食糧農業機関)によって2002年に開始したもので、受け継がれるべき重要な伝統的な農業、農村文化、農業景観などを全体として認定し、その保全と持続的な活用を図るものです。
(参考引用:みなべ町HP:http://www.town.minabe.lg.jp/docs/2015121400019/

養分が乏しかったこの地域では、お米を育てることが困難だったため山の斜面を利用して、
梅を植えました。
梅を植えた斜面の上の薪炭林を残すことで、土砂崩れ防止を図り、薪炭林に住むニホンミツバチを利用して梅を受粉させました。
さらに梅の品種改良と薪炭林から取れる製炭などの地域資源を活用し梅を中心とした農業を確立して来ました。

これらの努力があったからこそ、今の大粒・肉厚の南高梅が生まれたんですね。

【梅干しと太宰府天満宮の驚きの繋がりとは?】

太宰府天満宮といえば、「学問の神様」菅原道真公がまつられていることで有名な九州の神社です。
この神社の境内には、道真について知ることができる場所がいくつもあります。
その中で面白いのが「梅の種納め所」というスポットです。

実は、道真は梅を好んでいた人物と言われています。
そのことから、道真公をまつる太宰府天満宮や北野天満宮などは梅に関する紋が使用されています。
また、梅にまつわる和歌を残したり、自身の屋敷のことも、紅梅殿・白梅殿と名付けたりしています。

こうしたことから種を粗末に扱えないということで太宰府天満宮では、
種を納める「梅の種納め所」が設けられているのです。


太宰府天満宮https://hotokami.jp/area/fukuoka/Hyttr/Hyttrtk/Dsgrr/123332/602/

【最後に】

太宰府に左遷されたときに、梅が大好きだった菅原道真は京都の紅梅殿の梅に向けてこんな歌を残しています。

「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主無しとて 春を忘るな」

(現代語訳)
春の東風が吹くようになったら、花を咲かせて香りを届けておくれ、梅の花よ。
私がいなくても、春を忘れないでいておくれ。


オフィスで栽培しているレタス